活動及び海外との交流歴
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市村襄次氏の門下生 原田 哲とパートナーシップを組み、プロダンス競技選手として15年間にわたり活躍。
横浜 東神奈川に、「原田ダンススタジオ」(現、「ユニバーサルダンシンググループ」)を開設。(1964)
イギリス、及びドイツに留学(1972)
ボールルームダンス普及の目的と、テレビ出演のため、ブラジルに出向く。(1973)
原田 哲、脳手術後、ダンス人として再帰不能となるに至り、競技選手を引退、以後、デモンストレーション、振付、若手ダンサーの育成に専念。
(財)日本ボールルームダンス連盟審査員となる。(1977)
この頃より、ラテンアメリカ諸国とのダンス交流に情熱を注ぎ始める。
アルゼンチンタンゴ習得のため、アルゼンチンに単身出向く。(1983) |
以後10年間、毎年2ヶ月間ほどの滞在期間を取り、ブラジル及びアルゼンチンに出向き、ダンス人たちとの交流を深める。この間、途中アメリカに立寄り、サンフランシスコ、及びロサンジェルスでアメリカンダンスを習得、これらのダンスの、日本への普及に尽力。
更に、ラテンダンスの基礎となるキューバの音楽及びダンスに関する研究のため、キューバ、ドミニカ共和国、ジャマイカ、メキシコ等中米及びカリブ方面へ出向く。
キューバ国立民族舞踊団学校にて学び、校長及び、主要ダンサーとのコンタクトを深める。
(1992〜現在) |
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| 2006年・2007年度「アルゼンチンタンゴダンス世界選手権アジア大会」の審査員を務める |
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海外活動の業績
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1983年より、毎年ブラジルを訪問、インターナショナルボールルームダンスの技術伝達、及び人々への普及伝達に努めた結果、「ブラジルボールルームダンス協会」発足にこぎつける。
(株)JALと、(株)パイオニアの協力により、イギリスからトップダンサー1組、日本からダンス界の役員数名及びダンサー一組が派遣され、サンパウロ市シェラトンホテルにて発足記念セレモニー開催に至る。(1991)
日本において、アルゼンチンタンゴを愛する仲間達と結束「日本アルゼンチンタンゴダンス振興会」を発足、副会長となる。(1993)
プロフェッショナルの仲間達と「日本アルゼンチンタンゴダンス教師協会」を発足、副会長となる。(2002) |
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賞 ブラジルにて
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1983年 カルロス ゴメス賞
1987年 ジョン ラマリオ賞
1996年 ブラジル サンパウロ市文化教育統合賞 |
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公演及びプロデュース歴
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アルゼンチンの中堅ダンサー、ホセ ルイス カブレーラと組み、
タンゴショー「ヨコハマ タンゴ ブエノスアイレス」(1)をヨコハマのホ
テルにて企画公演、(オルケスタ:西塔 辰之助とオルケスタパンパ)(1991)
池田 光夫とロス アミーゴスの公演に、ホセ ルイス カブレーラ 及び 大類 隆 と踊る。(1992)
アルゼンチンの最高峰と謳われるダンサー、ファン カルロス コペスの
ワークショップを渋谷チャコット会場にて主催する。(1996)
フジTVテレビ主催ホワイトシアター公演「ニッサンタンゴブエノスアイレス」に主要アドヴァイザーとして参加。(1997)
N.H.Kテレビ番組「地球に好奇心」−哀愁と激情のアルゼンチンタンゴ−に
コーディネーターとして参加。(2002) |
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イベント
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ボールルーム・・・年2回ヨコハマのホテルにてグランドパーティーを開催
(スペシァルゲストダンサーの招聘、生徒及びスタッフの演技発表を含む)
アルゼンチンタンゴ・・年1回ヨコハマのホテルにて「午後のタンゴ」開催
(アマチュア、及びプロの演技発表を含み、新人登竜門の役割を担う)
アルゼンチンと日本のトップアーチストとの共演タンゴショー
「ヨコハマ タンゴ ブエノスアイレス」を不定期に開催。
ラテンアメリカン・・年1回「ヨコハマフィエスタ ラティーナ」を開催
(サルサ、メレンゲ等、を主体に、ラテン音楽とダンスを楽しむパーティー)
今後に向けて、本場ブラジルのサンバダンスの普及を目指している。 |
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エッセイ執筆
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「サンバその心を尋ねて」
・・・月刊「ダンスと音楽」誌1985年 掲載
「サウンドの尽きせぬ宝庫」−南米大陸あれこれ−
・・・ジャパンダンスニュース1990年掲載
「キューバ帰りのリポート」及び「カリブ スケッチ」―キューバ、ドミニカ、ジャマイカ、プエルトリコ−
・・・月刊「ダンスと音楽」1991〜1992年 掲載
「タンゴ−多様性の魅力−」
・・・アルゼンチン協会会報2002年掲載
「展望ラテンアメリカンダンス ナウ」「キューバ音楽の世界」「ブラジル音樂の世界」
・・・日本社交舞踏教師協会会報2003〜2004年 掲載 |
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